ジャガーについて



ジャガーの由来

1935年、スワロー・サイドカー・カンパニー(ジャガーカーズ社の前身)は、精悍で敏捷な動物「ジャガー」を新型車のモデル名に採用。若きウイリアム・ライオンズが憧れたアームストロング・シドレー社の高性能航空機エンジン「ジャガー」から商標権を譲り受けました。
1945年、ジャガーを社名とし再スタートをきった。設立当初はその名のとおりサイドカーを中心に製造していたが、「SS」などの成功により、1930年代には自動車製造を企業の中核とし、エリザベス2世女王、チャールズ皇太子からワラント(御用達指定)を下賜されている車としても知られている。

ザ・リーピング・ジャガー

ザ・リーピング・ジャガー

車好きなら一度は憧れるジャガーのエンブレム。
1938年、アマチュアの彫刻家”ビル”ランキンが、車雑誌「オートカー」の美術を担当していた彫刻家のF・ゴードン・クロスビーにデザインを依頼し制作されました。このマスコットは「ザ・リーピング・ジャガー」と呼ばれ、以来、じっとジャガー車のラジエーターキャップの上に立っていましたが、1970年代、アメリカの安全規制で突起物と見なされ、着けられなくなりました。XJ6シリーズ以降は最初からマスコットの使用を考えず、フロントグリルがデザインされる様になりました。

ジャガーの歴史

ジャガーの歴史

ジャガーの歴史は、創業者であるサー・ウィリアムズ・ライオンズの物語でもあります。人々を魅了するスタイル、息を呑むパフォーマンス、信頼のクオリティー。彼こそが、ジャガーを世界最高のブランドへと築き上げたのです。

1922 - 1932
1922 - 1932
ジャガーの誕生を語るには、まずイングランド北部沿岸のブラックプールに立ち戻らなければなりません。オートバイに情熱を燃やすウィリアム・ライオンズという名の若者は、まだ21歳にもならないころ、この地でスタイリッシュなサイドカーを製造していたウィリアム・ウォルムズレーに出会いました。ライオンズは、この時すぐにサイドカー製造の商業的成功と製品のデザイン性を見抜いたのです。彼は、このサイドカーの生産ラインを組織して操業すれば、ビジネスとして大きな可能性がある、と感じました。こうしたビジネスへのすぐれた洞察力とスタイル…
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1932 - 1935
1932 - 1935
ウィリアム・ライオンズは、他社のシャーシーを使ったクルマ作りをストップしました。他社のシャーシーでは平凡なクルマしか作れなかったからです。ライオンズとウォルムズレーが夢見たスポーティなクルマ作りのためには、シャーシーから製造する必要がありました。しかし、当時の自動車業界は混乱の最中にあり、慎重に事を進める必要がありました。そこでライオンズはスタンダード・モーター社にシャーシー製造を発注。スワローのデザインに基づき、スタンダードのエンジンを搭載したシャーシーを完成させました。同時に、宣伝担当としても鋭敏な感覚…
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1935 - 1938
1935 - 1938
1935年には「ジャガー」の名が、まったく新しいサルーンやスポーツカーとともに初めて自動車業界に躍り出ました。ウィリアム・ヘインズは、非常に先進的な新モデル・レンジのためのボックスセクション構造のクルシフォーム・ブレースドシャーシーの生産のために努力していました。その間、ウェズレークはその才能をスタンダードのエンジンに傾け、オーバーヘッドバルブの採用により、従来の2.5リッターサイドバルブエンジンのパワーを75馬力から105馬力までに伸ばすことに成功しました。この新しいシャーシーとエンジンユニットのために、…
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1938 - 1953
1938 - 1953
戦時中はサイドカーの軍用需要が増え、生産量は10,000台にものぼりました。さらに航空機とその組立作業により、航空機デザインやテクノロジーのノウハウを蓄積することができました。当然コベントリーは爆撃の対象となり、火災防止のため、従業員を組織して対応する必要がありました。ライオンズ、ヘインズ、ハッサン、クロード・ベイリーは同じグループに属し、ジャガーを世界屈指のメーカーに育てるための新エンジン開発に力を注ぎました。戦後しばらくはイギリスの会社にとって、困難な状況が続きました。鉄も外貨も不足し、大問題となってい…
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1953 - 1963
1953 - 1963
1954年にはX120が更に進化。Special Equipment 120に搭載されていたパワフルな190 bhp XKエンジンを装備したXK140に生まれ変わりました。新しいモデルと旧モデルが異なるのは、エクステリアのディテールのみでした。固定ヘッドのルーフラインが拡張され、ドロップヘッド・クーペと同様、リアに小さめのシート2席を装備。子供でも大人でも短時間であれば、後部座席の利用が可能となりました。それでも、ファミリーカーとしてはまだまだ実用的なものではありませんでした。オーバードライブ装置もオプショ…
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1963 - 1968
1963 - 1968
レースにすぐに復帰する予定でいたものの、さまざまな事情によりなかなか実現できないでいたジャガー。工場の火災だけでなく当時ジャガーはロードカー生産に集中する必要に迫られていましたし、そして何よりロードカー需要の高さに直面していました。しかしエンジニアリング部門では、1955年に既にD- typeの後継モデルの発想を暖めていました。伝説的な空力学者マルコム・セイヤーはル・マンで勝てるセンセーショナルなロードカー「E-type」の開発を始めていました。セイヤーは空力学の原則をクルマのデザインに取り入れた先駆者でした…
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1968 - 1979
1968 - 1979
1960年代後半、ジャガーはその市場規模の割にセダンモデルのラインアップを多く抱えすぎていました。これらのモデルは時代遅れになりつつもあり、新たな飛躍的進歩と同時に合理化が求められていました。そんな状況の中、1968年に遂に登場したのがXJ6です。熱狂的な称賛で迎えられた最も洗練されたジャガーは、何と言ってもライオンズの最高傑作でした。どのメーカーのクルマも独自のキャラクターを失いつつあった時代、ジャガーはジャガーらしさを保ち続けました。ボブ・ナイトの確かな手腕による豪華なXJ6は、走り心地と洗練性において…
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1979 - 1989
1979 - 1989
1980年、ジョン・イーガンの会長兼マネージングディレクター就任により、ジャガーは新時代を迎えました。ゼネラル・モータース(AC デルコ)、トライアンフ・カーズ、 ユニパート (ブリティッシュ・レイランド)などで経験を積んだイーガンは、すぐに品質向上と顧客の信頼回復に取り組み始めました。この結果、特にアメリカで再び需要が伸びました。変わらないスタイルはまた、オーナーのロイヤリティも高めました。それでも1970年代のオイルショックの影響は大きく、1981年、ジャガーはV12エンジン用の高効率シリンダーヘッドを…
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1989 - 1996
1989 - 1996
ジャガーにとって、まったく新しい時代の始まりです。ジャガーは1984年の株式公開以来、順調な成長を遂げてきました。需要の伸びに合わせて生産を拡大し、利益は製造・エンジニアリング部門に設備投資され、5200万ポンドかけたプロダクト・エンジニアリングセンターもコベントリーに完成しました。独自のボディパネルを製造するという計画のもと、GKNとの合弁でベンチャー・プレシングス社も設立。1988年には別の合弁会社ジャガー・スポーツも設立され、驚異のXJ220やXJR-15に代表されるセダンのスポーツバージョンとハイパ…
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1996 - 2000
1996 - 2000
ジャガーは1960年に合併したDaimlerにはプライドを持っていたため、最も豪華なフラッグシップモデルを常に「Daimler」と命名してきました。1996年は自動車業界誕生100周年の年であり、ジャガーはイギリス最古の自動車メーカー、Daimler Motor Company of Coventryの100周年を記念して、「Daimler Century」を発表しました。100台の限定モデルはフルーテッド・ラジエターグリルを搭載。Daimler Double Sixロングホイールベースモデルをもとに作られ…
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2000 - 2004
2000 - 2004
21世紀はXK8の「シルバーストーン」特別モデルでのF1参戦で幕を開けました。XK8のスーパーチャージドXKRバージョンをベースに開発されたシルバーストーンは、ピレリ製P-Zeroタイヤ付き20インチのアロイホイールとアルミニウムモノブロックブレンボ製4ピストンブレーキを装備し、究極のパフォーマンスを実現しました。JCATSとシステムと、SVO部門が開発したスペシャルハンドリングパックも搭載。当初はクーペ50台とコンバーチブル 50台、計100台のみを生産、ヨーロッパで販売する予定でした。しかし、このクルマは…
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